バラが咲く季節、旧古河庭園を訪れた。ジョサイア・コンドルの洋館、日本庭園、茶室を巡りながら、大正の面影と静かな時間を味わった一人旅の記録。

バラの季節。旧古河庭園に行きたいと思った。
大正の面影を偲びながら、バラの優雅な美しさと日本庭園の静けさに包まれ、しばし日常を離れてみたいと思ったから。
洋館とバラ園は、英国出身の建築家ジョサイア・コンドルが設計し、
日本庭園は、京都の作庭家・七代目小川治兵衛(植治)が手がけている。
ふと公式サイトをのぞいてみると、ちょうど洋館のガイドツアーが開催されていた。平日の12時50分の回を一名分、予約フォームから申し込んだ。
ガイドツアーに一人で参加するのは、正直なところ、勇気がいる。
いつも一人で行動する私でも、申し込むときには少しためらいがあった。
けれど、家族や友人との予定が合わないから行くのを諦めるなんて、どこかもったいない。
行きたいと思ったときに、その気持ちを大切にして行動できる人でありたい。だって、自分軸を持って生きたいもの。
ふふっ。ちょっと大袈裟だけれど、そんな風に思っている。
そこで以前、別のガイドツアーに参加したとき、男女問わず一人で参加している人が多く、「これなら、私も大丈夫かもしれない」と思い、今回は一人で申し込んでみたのだ。
ところで、
旧古河庭園への行き方はいろいろある。
私は、JR京浜東北線の上中里駅で下車。緩やかな上り坂を歩きながら、庭園へ向かう。


坂道の途中、右手に平塚神社が現れる。
平安時代末期に創建されたと伝わる古社で、源頼朝の先祖にあたる源義家などを祀る神社だそうだ。
頼朝の先祖だなんて、ずいぶん古いのだなぁ。
武運長久や開運、厄除けなどのご利益があるという。
以前来たときはお参りしたのだが、今回はそのまま通り過ぎてしまった。
帰宅して調べてみると、病気平癒のご利益もあると知り、「お参りしておけばよかったな」と少し思ってみたりもした。
それから横断歩道を渡り、左手に進むと旧古河庭園の門が見えてくる。
駅から歩くこと約7分。

到着したのは、6月の第2週。平日の午前11時30分頃だった。
入園料150円を払い、まずはバラ園へ向かう。
バラが咲くタイミングは難しい。
数年前に来たときと、同じ頃に来たつもりだったのだが、今回は咲いているバラの数が少ない。



全体を見渡すと少し寂しい。けれど、近づいてみると、美しく咲いたバラが迎えてくれた。
一人でも

「うわぁ〜、キレイ」

「なんて素敵な色合い」

と、声が漏れる。
優しい気持ちになったり、元気をもらったり、なんだか分からないけれど、バラを見ていると「大丈夫」と思えたり……。

そんなふうに、人にとって花は大切な存在なんだね。
次は、階段を下り、日本庭園へ向かう。
日本人にとって、「日本庭園」ってどんな意味があるのだろう?
祖父母の家にも、祖父が作った小さな庭があった。季節の木々が植えられ、灯籠があり、ゆるやかな起伏もあって、飛石を伝ってぐるりと一周できるようになっていた。子供の頃、そこを歩いて回るのが楽しかった。



財閥の家ともなると、「池泉回遊式庭園(ちせんかいゆうしきていえん)」。
枯滝や石組など枯山水の趣もあれば、大滝や池、橋もある。
歩いていると、庭の表情がどんどん変わり、いつしか遠くへ来たような気持ちになる。時間を忘れ、深い静けさに包まれる。
そうした広い庭を構えることは、日本人の憧れであり、社会的地位の象徴でもあったのかもしれない。


だから日本庭園に来ると、私は気持ちが上がる。
ワクワクするし、嬉しくなる。
この庭園はどんな意匠で、どんな仕掛けがあるのだろうと、興味が湧き、期待が高まっていく。
いにしえの作庭家たちの趣向に、感嘆したり、驚いたり、小さな気づきに出会えたり。
まるで別の時代に迷い込んだような気持ちになり、殿や姫君の気分に浸ることができる。
春の新緑、夏の木陰、秋の紅葉、冬の静寂。
満開の花だけでなく、散りゆく花や、うたかたの水の揺らぎにも美しさを見いだす。




慎ましやかでありながら、自然への畏敬の念を忘れない。
足りないことや質素であることの中に、心の豊かさや美しさを見いだす「わび」。
時を重ねたものに宿る味わいや、静かで古びた趣に美を感じる「さび」。
そうした美意識を、言葉にせずとも暗黙のうちに感じ取ることのできる日本人。
その独自の感性は、日本庭園に息づいている。
だから、この風景は、日本人の心の奥底に残り続けているのかもしれない。

そうこうしているうちに、私が好きな場所に辿り着く。
ここ。

茶室へと続く石段だ。
まるで山道を歩いているかのように、緩やかに登っていく。





そして、下り、庭を巡りながら、茶室へ。





ここでの一服は、私のささやかな贅沢。



この日は曇り空だったけれど、風が心地よく、一服をいただくにはちょうどよい涼しさだった。
目の前に広がる景色。

頬をなでる風。
和菓子のやさしい甘さ。

お抹茶の鮮やかな緑と、ほろ苦さ。

すべてが調和している。

至福のひととき。
―― あっ、本日のメインは洋館ツアー。
うっかり、時を忘れてしまうところだった。

名残惜しく茶室を後にし、日本庭園を抜けて旧古河邸へ向かう。



洋館の入口で支払いを済ませる。ガイドツアーは800円也。
靴は靴袋に収め、大きな荷物は事務所で預かってもらえる(貴重品を除いて)。
ガイドツアーでは、各部屋の詳しい説明を聞きながら巡ることができる。さらに、通常は入れない2階の居室にも足を踏み入れることができる。
ツアーには予約が必要で、各回15名限定。
私の回は平日のせいもあってか、女性が多かった。
ご夫婦が二組、少人数のグループがいくつか。
一人での参加も、私を含めて三人ほどいた。
さて、ツアーは1階のホールから始まる。
古河邸の当主は、古河財閥三代目の古河虎之助。
その妻・不二子は、西郷隆盛の弟・西郷従道の娘にあたる。
当時は「絶世の美男美女」として語られていたという。
古河虎之助は、英国に留学した経験もあり、お洒落な人物だったといわれている。
1階は、ホール、ビリヤードルーム、応接室、ティールーム、大食堂など、まさに英国式の洋室で構成されており、賓客を迎えるための場だった。
暖炉やマントルピース、廊下の窓ガラスの一部、照明など、いくつかの調度は大正時代のものがそのまま残されている。
古河夫妻がもてなした来賓の談笑や、葉巻の香り、靴音、婦人方の微笑み。洋館の華やかさが、記憶として刻まれているようである。
コンドルが抱えた職人たちは非常に腕が良く、その仕事の跡が今も随所に残っている。
そして2階へ。
居住空間を見られることが最大の楽しみ。
なんと、ゲストルームとご夫婦の寝室以外は和室なのだ。
あの古河邸に和室があるという事実が、一番のサプライズだった。
和室と洋室の調和には、一工夫が感じられる。それもまた、コンドルの粋な計らいなのかもしれない。
まずは仏間。
黒漆の火灯窓が美しい。
金箔が吹き付けられた壁や襖。
静かで、品格のある、素晴らしい空間だった。
極楽浄土に向かって手を合わせられるよう、西を拝む形になるように、仏壇は東向きに配置されているという。
神仏と先祖を敬うための祈りの場である。
次は客間。
華美ではないが、極上の和のしつらえで、来賓への心遣いが随所に感じられた。
そして、ご夫婦で寛ぐ畳敷きの居間。
南側に面し、バラ園や庭園を一望できる。高台にあるため、当時は富士山も見えたという。
まさに家主ならではの特等室だった。
大正時代の暮らしを思えば、畳の心地よさや、着物の衣擦れ、足袋の足音が、今も残っているようだった。
けれど、虎之助ご夫婦がこの洋館で暮らしたのは、大正6年(1917年)からわずか9年だったという。
理由は、大正12年(1923年)の関東大震災に加え、財閥の経営や財政面など、さまざまな事情が重なったためとされている。
加えて、最新鋭の設備を備えた大邸宅ゆえに、日々の暮らしには負担もあったようだ。館内の暖房は暖炉が主で、全体を暖めるには丸2日を要したともいう。
風呂の湯も1階のボイラーからバケツで15杯ほど運ばなければならなかったと聞く。
時代を先取りした豪華な造りも、日々の生活の中ではあまりに規模が大きく、維持には厳しさがあったのかもしれない。
その後、古河邸の洋館は関東大震災や戦争を経て、幾人もの手を経た。
戦後、古河家と親交のあった大谷米太郎が敷地と建物を引き継ぎ、現在は庭園を東京都が、洋館の建物を公益財団法人大谷美術館がそれぞれ管理・運営している。
ツアーを終え、もう一度バラ園から邸宅を望む。
外観からは想像もつかない和室。
いまでは、あそこが居間で、あちらが寝室だったなと、部屋の様子が目に浮かぶ。


5月の最盛期を過ぎたあとも、6月中旬から下旬にかけて「二番花」が次々と開花し、初夏へとバラの季節をつないでいく。
そして秋には、和洋折衷の美しい景色が広がる。
10月は優美な秋バラが主役となり、12月が近づくにつれて、日本庭園の鮮やかな紅葉へと主役が移り変わっていく。
ちょうどその中間にあたる11月中旬頃に訪れれば、バラと紅葉の贅沢な共演を楽しむこともできるようだ。
次は、旧古河庭園の秋の風情も感じてみたい。
※開園時間や洋館ガイドツアーなどの詳細は、旧古河庭園の公式サイトをご確認ください。
旧古河邸 | 公益財団法人 大谷美術館