日いづる処の美の日誌

光梅|美しいものを慈しむくらしの記録

【高野山東京別院】高輪ゲートウェイ駅から徒歩10分!境内の見どころやお砂踏み・護摩祈祷を紹介

特別展「空海と真言の名宝」の開催を機に、高野山東京別院を訪れました。この記事では、高野山東京別院へのアクセスや境内の見どころ、お護摩祈祷について紹介します。また、弘法大師様を慕う理由や、弘法大師様にまつわる言葉も、実際に参拝した体験を交えながらお伝えします。

高野山東京別院へ

東京・上野にある東京国立博物館では、2026年7月14日から「弘法大師生誕1250年記念 特別展『空海と真言の名宝』」が開催されている。

弘法大師・空海は、唐から密教を持ち帰り、平安時代初期に真言宗を開いた僧である。その真言密教に伝わる秘仏や密教絵画など、貴重な名宝に触れることができる特別な展覧会である。

私も近いうちに足を運ぶ予定だ。

と、その前に、まず弘法大師様へご挨拶に伺いたいと思い、東京・高輪にある「高野山東京別院(高輪結び大師 )」を訪ねることにした。

高野山東京別院は、和歌山県・高野山にある総本山「金剛峯寺(こんごうぶじ)」の直轄寺院であり、東京において高野山の教えや祈りに触れることができる大切な別院である。

下車した駅は「高輪ゲートウェイ駅」。
JR山手線・京浜東北線の田町駅と品川駅の間に開業したおかげで、とても行きやすくなった。

品川駅寄りの南改札を出たら、左手へ進む。

そのまま真っ直ぐ突き当たりまで行き、右手にある下りのエスカレーターを降りる。


信号を渡り、「Futaba」と書かれた白い看板のあるビルの右側にある「桂坂」を登る。

緩やかな坂ではあるものの、歩いていると案外きつく感じる。

一つ目の信号も、そのまま直進する。
もう少し歩くと左手に花壇と「高野山東京別院」の立て看板が見えてくる。

こちらからも入ることができるが、正門へ向かう場合は、そのまま進み、二つ目の信号は渡らずに左折する。

すると、お大師様の像が迎えてくれて、その奥に門構えが見える。


ここまで、高輪ゲートウェイ駅から徒歩約10分。品川駅から徒歩約13分。
※他路線で「泉岳寺駅」や「高輪台駅」などからも徒歩でアクセスできます。詳しいアクセスは公式ホームページをご確認ください。

境内の見どころ

門をくぐり境内に入ると、左手に四国八十八ヶ所霊場のお砂踏みができる場所がある。

お砂踏みとは、弘法大師・空海ゆかりの各寺院のお砂を踏むことで、実際にお遍路を巡ったのと同じ功徳をいただけるとされる信仰行だ。

右手には明神社がある。
明神社には4つの社殿があり、7柱の神様がお祀りされている。
高野山では、弘法大師・空海が高野山を開く際、土地の神様である丹生明神や高野明神の加護を受けたという伝承があり、神仏だけでなく土地の神様も大切にされてきた。

お寺の境内に神社があることを、不思議に感じる方もいるかもしれない。しかし、これは神仏習合の歴史を持つ日本ならではの信仰の姿の一つなのである。

次に、右手奥には不動堂もある。

こちらには不動明王がお祀りされている。
不動明王は、真言密教において大切にされている仏様で、迷いや煩悩を断ち切り、正しい道へ導いてくださる存在とされている。また、憤怒の表情をされているのは、人間に向けた怒りではない。どんなに言うことを聞かない人であっても、力強く引き上げて必ず救うという、強い慈悲の表れなのだ。

さらに、不動堂は、お護摩祈祷が行われる専用のお堂。 真言密教の代表的な修法(しゅほう)である「護摩」は、壇に設けられた炉で護摩木を焚き、その智慧の炎で人々の煩悩や災いを焼き尽くし、願いの成就を祈る儀式だ。高野山東京別院では、この護摩の修法によるご祈願が毎日行われている。

私は、高野山東京別院では、まだお護摩祈祷を受けたことがない。
比較的、自宅から近いお寺では、最低でも月に一度はお護摩祈祷を受けるよう心がけている。

私が信仰する宗派が真言宗だからだろうか。般若心経や真言を唱えることに抵抗はなく、むしろ、お護摩祈祷を受けることで、心が落ち着き、自分自身を見つめ直す時間になるように感じている。

格式があり、どこか神秘的でもあるお護摩祈祷。

仏様や弘法大師様、そしてご先祖様ともつながっているような気持ちになれる、尊い修法だ。

まだ体験されたことがない方は、一度、お護摩祈祷をお受けになることをおすすめしたい。

いよいよ、境内の中心に建つのが、ご本堂。

「遍照殿(へんじょうでん)」と呼ばれ、高野山東京別院で最も大切なお堂だ。

扉を開くと、お線香のやさしい香りが漂う。
堂内は静寂と厳かな空気に包まれ、自然と背筋が伸びる。
中央正面には、弘法大師様がお祀りされている。
真言密教の祈りが、今も息づいていることを感じさせてくれる場所だ。

黒い椅子が整然と並んでいるので、私はお参りを済ませると椅子に腰掛け、自分なりの祈りを続ける。真言を唱え、まだ覚えきれていない般若心経も、たどたどしく唱えてみる。

そして、お大師様へ日頃の感謝と近況を報告する。

……そこで終わればいいのだけれど。

とはいえ、やはり煩悩がある。
最後は相談をしたり、お願いごともしてしまう。(苦笑)

私にとっては、聖なる空間である。

なお、堂内は写真・動画ともに撮影禁止となっている。
静かな祈りの場でもあるため、参拝の際はルールとマナーを守りたい。

御朱印やお守りなどは、本堂に向かって左手の建物でいただくことができる。

弘法大師様への想い

……う〜む。実は、お大師様は私の推しです。
(あっ、言っちゃった!)

お慕いする理由は、仏教にとどまらず、書や教育、文化など幅広い分野で後世に大きな影響を残されたこと。さらに、並外れた才能と智慧をお持ちのお方であり、数々の不思議な逸話が伝わっていることだ。

例をあげるなら、今なお高野山・奥之院では、お大師様が「入定(にゅうじょう)」という深い禅定(精神統一)の境地に入り、人々のために祈りを捧げ続けているという。

その信仰に基づき、奥之院では毎日「生身供(しょうじんぐ)」が営まれ、現代も変わらずお大師様へお食事が供えられている。

通常では考えられないことだ。けれど、それほどまでに人々の篤い信仰を集め続けていることこそ、お大師様の偉大さを物語っている。

お大師様の歩みや伝えられた教えを知れば知るほど、「さもありなん」と思えるのである。
※さもありなん:「いかにも、そのようなことがあっても不思議ではない」の意。

お大師様にまつわる諺や、真言密教の教え、信仰の中で受け継がれてきた言葉は数多くある。なかには、普段何気なく使っている言葉もあり、その由来を知ると驚くこともある。代表的なものを紹介すると――
🔶 弘法にも筆の誤り(こうぼうにもふでのあやまり)
どんなに優れた人でも、時には失敗することがあるという意味。書の名人として知られる弘法大師様に由来することわざである。

🔶 同行二人(どうぎょうににん)
四国遍路では、たとえ一人で歩いていても、弘法大師様が常に寄り添い、ともに歩んでくださるという信仰を表す言葉。

🔶 身口意(しんくい)の一致
身体の行い(身)、口にする言葉(口)、心のあり方(意)を一致させ、調和させるという真言密教の教え。
など。

おわりに

名残惜しいが、そろそろお暇の時間。

帰ろうとして門へ向かったとき、改めて明神社へ手を合わせた。
そこで思いがけないことを知る。

境内にある明神社を通して、高野山では神仏だけでなく、土地の神々も大切にされてきたことを改めて知った。明神社については、また別の機会に深く掘り下げてみたいと思っている。



高野山東京別院
■所在地:東京都港区高輪3-15-18
■アクセス
▪JR高輪ゲートウェイ駅 徒歩約10分
▪JR品川駅 徒歩約13分
▪都営浅草線・京急本線「泉岳寺駅」徒歩約10分
■開門時間
 6:00~17:00(通年)
■拝観時間・護摩祈祷  
 最新情報は公式ホームページをご確認ください。
■公式ホームページ  

 https://www.musubidaishi.jp/

歌舞伎『阿古屋』との不思議なご縁|坂東玉三郎丈のシネマ歌舞伎を鑑賞して

映画『国宝』を観たことをきっかけに、ずっと気になっていた坂東玉三郎丈の『阿古屋』。その後、特別公演、美術展、テレビ番組を通して、『阿古屋』を耳にしたり、目にしたりする機会が続きました。その流れに背中を押されるように、私はシネマ歌舞伎『阿古屋』を鑑賞しました。今回は、そこに至るまでの出会いと、心に残った舞台の魅力を綴ります。

※五代目 坂東玉三郎 ×IKKO 2週連続放送! 7/4 ・7/11 Eテレ 土曜夜9時30分

「あっ、阿古屋に呼ばれている。芝居を見なくては。」
そう思った。

また、唐突に何の話?……と思った方も多いだろう。

阿古屋(あこや)とは、人形浄瑠璃や歌舞伎の演目『壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)』に登場する遊女の名である。

源氏に追われる平家の武将・悪七兵衛景清(あくしちびょうえかげきよ)の恋人として描かれ、琴・三味線・胡弓を奏で、自らの潔白を証明する場面は、歌舞伎屈指の名場面として知られている。なお、阿古屋は実在の人物ではない。

実は、昨年『国宝』を観て以来、今年の4月頃から『阿古屋』という演目をやたらと目にするようになった。

きっかけは、映画『国宝』だった。

映画を観たあと、「歌舞伎の『二人道成寺』や『鷺娘』を見てみたい」と思い、東京・銀座の東劇へシネマ歌舞伎を観に行った。

そこで、壁いっぱいに貼られたポスターの中で、ひときわ目を引いたのが『阿古屋』だった。

そのポスターに写る坂東玉三郎丈の姿は、思わず目を奪われるほど美しく、「いつか、この作品を観てみたい。」そう思いながらも、月日だけが過ぎていった。

その始まりは4月だった。
坂東玉三郎丈の特別公演を鑑賞した。
演目『長唄箏曲 三曲糸の調べ』では、玉三郎丈が阿古屋として奏でる琴・三味線・胡弓の演奏を聴くことができた。

そして6月。
スイスの画家カール・ヴァルザー展へ足を運ぶと、日本初公開作品の中に、彼が来日した際に歌舞伎の『阿古屋』を観劇し、その姿を描いた作品が並んでいた。

さらに7月。
NHK『スイッチインタビュー』では、玉三郎丈が実際に舞台で身につけた衣裳を前に、IKKOさんと対談していた。その中で『阿古屋』の舞台映像が流れ、舞台で着用した打掛や孔雀の帯について語る姿を見て、『阿古屋』という演目がますます気になった。

もちろん、玉三郎丈の代表的な演目なのだから、公演や番組を追っていれば『阿古屋』に出会うのは不思議ではない。

私も、それだけなら偶然だと思っていた。

けれど、その間に、日本ではほとんど知られていないカール・ヴァルザーの作品の中でも『阿古屋』と出会った。

そう考えると、これはただの偶然ではないのではないか──。
私は、そう思った。

今のところ、歌舞伎で『阿古屋』の上演予定は見当たらない。
だからこそ、玉三郎丈の『阿古屋』を見る方法はないかと探していた。

そこで見つけたのが、Amazon Prime Videoでレンタル配信されている『シネマ歌舞伎 阿古屋』だった。DVDも発売されている。

シネマ歌舞伎とは、歌舞伎の名舞台を映画館や配信などで楽しめる映像作品である。

私はPrime Videoでレンタルし、さっそく視聴した。

今回鑑賞したのは、舞台映像だけでなくメイキング映像も収録された特別版だった。

まるで、フランスのドキュメンタリー映画を観ているような構成だ。

ピアノの旋律が流れ、玉三郎丈の静かな語りから始まる。

そこには、歌舞伎の稽古風景をはじめ、衣裳や鬘、大道具、音響、照明、そして竹本(義太夫節の語りと三味線)の世界が映し出される。さらに、琴・三味線・胡弓の調整、役作り、普段は見ることのできない舞台裏や楽屋の様子まで、丁寧に収録されていた。

歌舞伎は伝承。

師から弟子へ。
先輩から後輩へ。

長い年月をかけて受け継がれてきた技と心。その積み重ねが、一つの舞台を支えていることが伝わってくる。

見事な舞台。
絢爛豪華な衣裳。
竹本の語りと、琴・三味線・胡弓が織りなす音の世界。

特に胡弓の音色には心を奪われた。

日本の伝統的な弓で弾く楽器でありながら、どこか二胡を思わせるような哀愁ある響きだった。その難しい胡弓を弾きこなしながら演じる玉三郎丈の超絶技巧には、ただただ圧倒された。

そして、その音色にひそむ、恋人・景清への愛。
ここに、玉三郎丈が演じる阿古屋の真髄がある。

レンタル期間中に、もう一度見返した。

一度目は、その見事な演奏と美しさに目を奪われた。

けれど、もう一度見返して気づいたことがある。

特に印象に残ったのは、琴を演奏する場面だったと思う。

ふと、弦から目を離し、まっすぐ正面を向いた遠いまなざし。
恋しい景清を思うような哀しげな表情で、琴を奏でている。

あの一瞬が、今も忘れられない。

阿古屋は、ただ琴・三味線・胡弓を上手に演奏すればよい役ではない。景清を思う心が、その音色にまで宿っていてこそ、阿古屋という人物が生きる。

だからこそ、玉三郎丈の演技と演奏は、人の心を打つのだと感じた。

素晴らしかった。
見て、本当によかった。

江戸時代から受け継がれてきた演目『阿古屋』。

竹本の語りは心地よく、琴・三味線・胡弓の音色が阿古屋の心情をより深く伝えてくれる。

舞台とはまた違う魅力が、シネマ歌舞伎にはあった。

実際の舞台は、まだ観たことがない。

だからこそ、いつか劇場で『阿古屋』を観てみたい。

そんな思いが、さらに強くなった。

もちろん、玉三郎丈が『阿古屋』を再び演じられる機会は、そう多くはないだろう。だからこそ、特別公演で『三曲糸の調べ』を演奏されているのかもしれない。

それでも、いつの日か、劇場で玉三郎丈の『阿古屋』に出会えたら――。そう願わずにはいられない。

鑑賞後に坂東玉三郎丈の公式ホームページを確認すると、私が4月に鑑賞した特別公演と同じ『長唄箏曲 三曲糸の調べ』が、9月の博多座特別公演でも上演予定となっていた。

🔷九月博多座特別公演 坂東玉三郎出演
日時:2026年9月4日(金)~9月14日(月)14時開演
 ※9月9日(水)は休演
劇場:博多座
※博多座公演の日程は変更される可能性があるので、公演の詳細は、坂東玉三郎丈の公式サイトをご確認ください。
坂東玉三郎【公式サイト】スケジュール|公演のご案内

これから博多座公演へ足を運ばれる方には、事前に『シネマ歌舞伎 阿古屋』をご覧になることをおすすめしたい。

物語の背景や阿古屋という人物を知ってから舞台に触れることで、その世界をより深く味わえるはずだ。

ふふふっ。
私が最初に「阿古屋に呼ばれた」と思ったのは、きっと何かを伝えるため。

『阿古屋』からの──。
いや、玉三郎丈からのメッセージを届けるためだったのかもしれない。

もし、あなたも『阿古屋』に呼ばれたと感じたなら、ぜひ一度、その世界に触れてみてほしい。

※『シネマ歌舞伎 阿古屋』の価格や詳細については、商品ページをご覧ください。
🔷今すぐ鑑賞したい方へ
▶ Amazon Prime Videoでレンタルする⇒シネマ歌舞伎 阿古屋

🔷手元に残して何度も楽しみたい方へ
(7/13 23:59まで、Amazon プライムセール実施中)
▶ DVDを購入する⇒歌舞伎名作撰 壇浦兜軍記 阿古屋(DVD)

【静嘉堂@丸の内】『元禄!師宣劇場 十二ヶ月風俗図巻 大公開』鑑賞レポ|《見返り美人図》・《歌舞伎図屏風》は必見!

静嘉堂@丸の内で開催された『元禄!師宣劇場 十二ヶ月風俗図巻 大公開』の前期展示を鑑賞してきました。

今回の展示では、菱川師宣(ひしかわ もろのぶ)の代表作として知られる《見返り美人図》をはじめ、重要文化財《歌舞伎図屏風》や《十二ヶ月風俗図巻》など、江戸の人々の暮らしや楽しみを描いた作品を見ることができた。

ところで、なぜ菱川師宣は「浮世絵の祖」と呼ばれるのだろうか。

師宣より前から、当時の人々の暮らしや風俗を描いた絵はあったそうだ。調べてみると、大きく三つの理由があるらしい。

一つ目は、絵を「見るもの」として広げたこと。
元々は本の挿絵として描かれることが多かった絵を、一つの作品として楽しむものへ発展させた。

二つ目は、木版印刷によって、より多くの人が楽しめるものにしたこと。つまり、気軽に買える大衆向けの文化にしたとのことだ。

そして三つ目。
それまで絵師の名前が前面に出ることは少なかった。けれど、師宣は自分の名前を入れ、絵師自身にも価値を持たせた。

というわけで、作品だけではなく、「誰が描いたのか」ということにも注目されるようになったのだ。そんなことも、師宣の大きな功績の一つなのだそうだ。

では、
まずは初めて訪れる、静嘉堂@丸の内までの道のりから。

私はいつも通り一人で、JR山手線・京浜東北線「有楽町駅」の国際フォーラム口から歩いて向かった。

赤レンガの三菱一号館美術館の並びにあり、正面には遠く皇居の伏見櫓が見える。

「すごい。一等地じゃない!」と思わず小さく叫んだ。

今回の会場は「静嘉堂@丸の内」。
2022年、静嘉堂文庫美術館は展示ギャラリーを世田谷から丸の内・明治生命館へ移転した。皇居にもほど近いこの場所で、名品を鑑賞できるようになった。

白い花崗岩の外壁に、古代ギリシャ・ローマ建築を思わせる重厚な明治生命館の中にある。

「重要文化財」のプレートにも頷ける。

館内に入ると、右手に静嘉堂@丸の内の入口があった。
お昼時だったこともあり、館内はまだ落ち着いた雰囲気だった。

大理石やブロンズをふんだんに用いた内装に、トーンを抑えたシックな照明。重厚で気品あふれる空間が広がり、その豪華さに思わず気おくれしてしまいそう。

かくいう私は、シャツにパンツ、スニーカーといういつもの格好。
こんなにも品格のある場所なら、少しばかりお洒落をして来ればよかった…と後悔した。

展示室へ向かう前に、まずはホワイエへ。

天井が高く、落ち着いた雰囲気。

正面には、《見返り美人図》をモチーフにした展示があり、一気に心がはやる。

黄金の装飾と深い赤褐色の着物とのコントラストが、江戸の華やかさを感じさせる。

さぁ、いよいよ菱川師宣(ひしかわもろのぶ)の世界へ。

Gallery1

まず目に飛び込んできたのは、静嘉堂を代表する所蔵品の一つ、重要文化財《四条河原遊楽図屏風》だ。

画面いっぱいに広がるのは、京都の繁華街・四条河原で遊び、集う人々のにぎわいだ。誰もが生き生きとした表情を見せている。

目を凝らして見ると、着物の柄や色使いが、斬新でありながら驚くほど繊細だ。江戸時代の京都の人々の流行だったのだろうか。そして、人々の暮らしを描いた作品とは思えないほど、黄金の霞は豪華で煌びやかだ。

この金をふんだんに使った演出は、京都の人々の華やかな遊びやにぎわいを表現したかったのだろうか。それとも、発注した富裕層が楽しむための華やかな屏風だったのだろうか。

次へ進むと、出ましたぁ、《見返り美人図》

平日ということもあって、それほど混雑はしていない。
けれど、一幅の掛軸の前には、常に二、三人が足を止めていた。
想像していたより、小ぶりな作品だった。

この作品の最大の見どころは、歩きながらふっと「振り返る」という、その一瞬の仕草だそうだ。

有名な美人画なので私は前から知っていたけれど、『あつまれ どうぶつの森』というゲームがきっかけで《見返り美人図》を知ったという人も、多いのではないだろうか。

このゲームには、怪しいキツネの美術商「つねきち」がやって来て、本物と偽物の美術品を売るイベントがあるのだ。

ゲーム内の博物館に美術品を寄贈するため、つねきちの薄暗い船のなかで「本物か? 偽物か?」と見比べていたら、自然と作品名まで覚えてしまう。しかも有名な作品ばかり登場するから、いつの間にか美術の勉強にもなっている。なかなかよいゲームだ。そう感じたのは、私だけではないはず。(笑)

(また、話がそれてしまった。)

そして、その並びには、尾形光琳の《鵜舟図(うぶねず)》。

かがり火を灯した鵜舟が、墨の濃淡を活かした流れるような線で描かれている。

鵜匠(うしょう)の表情が穏やかで、なんだかぬくもりがあって、見ていたら思わず「にたぁ」とほほ笑んでしまった。

だって、以前に根津美術館で観た《燕子花図屏風》とは雰囲気がまるで違って、「光琳って、こんな優しい作品も描けるのだなぁ」と、すっかり見惚れてしまったからだ。

Gallery2

《十二ヶ月風俗図巻》の上巻。前期展示では、一月から六月までが展示されていた。

江戸時代の一年を、人々の暮らしとともにたどることができる絵巻。着物の柄や色彩が本当に素敵で、髪形や小物まで細かく描かれている。見ているだけで当時の暮らしが想像できて、とても面白い。
きっと、時代劇などの参考にもなっているのだろうなぁと想像する。

ただ、庶民の暮らしを描いた作品といいながらも、着物や催事の様子はどれも華やかで、どこか裕福な印象を受ける。

どうやら菱川師宣の作品は、庶民の貧しい日常ではなく、元禄期の町人たちが着物のおしゃれや芝居、遊興などを全力で楽しむ「文化」を描いたもののようだ。

だからこそ、この絵巻はゆっくり時間をかけて見たかった。

しかし……できなかった。

写真をご覧の通り、そんなに混んではいなかった。

最初は離れていた私の右手側にいた方が、だんだん近づいて来るのが、右目の端で見える。気づけば、右足を踏まれるのではないかと思うほどの距離感だ。

ゆっくり見たいのだけど、私も焦る。
私が一歩左へずれると、その方も一歩左へ。

混んでいれば「あるある」なのだが、途中から見知らぬ人と二人三脚状態だ。

せっかく見に来た《十二ヶ月風俗図巻》は、作品に集中できずじまい。覚えているような、覚えていないような……。(泣)

Gallery3

一番広い展示室の奥に、いよいよ《歌舞伎図屏風》が展示されている。

六曲一双の大きな屏風ということもあり、最初に見た《四条河原遊楽図屏風》よりも、一人ひとりの姿が見やすい。ガラスケース越しではあるものの、比較的近い距離で展示されているため、細部までじっくり見渡すことができた。

この作品の見どころは、江戸時代初期の最高位の芝居小屋「中村座」を舞台に、歌舞伎の演者や観客の様子が生き生きと描かれているところ。

画面右側(右隻)には芝居小屋の入口や華やかな舞台、それを楽しむ客席が描かれているのだが、観客が自由すぎて微笑ましい。

左側(左隻)には、普段は見られない楽屋。顔を洗ったり、髪を結い直してもらったり、着替えたりと、せわしい舞台裏の様子がうかがえる。また、芝居茶屋で踊ったり、庭で花見を楽しんだりと、舞台の外まで賑わいが広がっていた。

こちらでは、周りの人とも暗黙の了解で場所を入れ替わりながら鑑賞できた。おかげで、思う存分《歌舞伎図屏風》を堪能することができた。

《見返り美人図》の何が違う?

Gallery4では、英一蝶(はなぶさいっちょう)、宮川長春(みやがわちょうしゅん)、鈴木其一(すずききいつ)の作品が並ぶ。

どの作品も、髪型も、立ち姿も、着物の柄や色彩も、どれをとっても綺麗で品格がある。なのに、どうしてあの《見返り美人図》は、それほど秀逸なのか。

Gallery4に並ぶ作品をしっかり目に焼き付けてから、もう一度Gallery1の《見返り美人図》の前に立った。

他の作品と比べても、着物の柄がひときわ豪華というわけではない。私には、色彩や塗り方が特別派手に見えるわけでもなかった。

けれど、横顔の表情、振袖の流れ、帯の締め方、裾の曲線、髪の結い方まで、どれも柔らかく自然で、少しも仰々しさがない。

私の表現が合っているのか分からないのだが、厚みというのか、立体感というのか、たゆみというのか、動きというのか……。

うまく言葉にできないのだけれど、改めて師宣の美人画を見ると、「やっぱり上手いなぁ」と思ってしまう。

「歩きながらふっと振り返る」。その一瞬。

「描こう、描こう」という力みがない。ずっと見ていられる。

これが、「引き算の美」ということなのだろうか。

今回の展覧会では、まるで上から町を眺めているように、江戸時代の人々の暮らしや催事、芝居や遊びの様子をあちこちに見つけることができ、本当に楽しかった。

歳を重ねてきたからだろうか。それとも日本人だからだろうか。最近、日本の文化に触れるたびに、喜んでいる自分がいる。それがなんだか嬉しい。不思議ねぇ。

―――

※静嘉堂@丸の内公式サイトはこちらです。
開催中の展覧会 - 静嘉堂文庫美術館

戸定邸(松戸)へ一人で訪問|徳川昭武公が暮らした旧水戸藩の邸宅と雨の午後

千葉県松戸市にある戸定邸を、一人で訪ねた。
そこは旧水戸藩主・徳川昭武氏が暮らした明治時代の邸宅である。
なぜ徳川家の邸宅が松戸にあるのか――その疑問を抱えたまま過ごした雨の日の記録。

千葉県松戸市に、明治時代に建てられた徳川家由来の邸宅が現存しているという。最後の将軍・徳川慶喜公の弟で、徳川昭武公が暮らした私邸だと知った。

「なぜ、徳川家の私邸が千葉県松戸市に?!」

私は無知だから、いつも疑問と驚きでいっぱいである。

平日の午後、一人で訪ねることにした。
JR常磐線と京成電鉄の「松戸駅」東口から、徒歩10分ほどの場所にある戸定邸(とじょうてい)だ。

携帯のマップを頼りに、駅から歩いて向かっていると、携帯電話がブルブルと震えた。

道を間違えたのかと思いきや、「積乱雲と雨雲が接近中」と表示されていた。
空を見上げると、先ほどまでの晴天が嘘のように、濃い灰色の雲が迫ってきている。

梅雨の季節、急な雨は仕方がない。幸い、傘は持っている。
まだ雨粒は落ちていない。けれど、遠くから雷鳴が近づいてきていた。

「急がなくては」

足を速めながら歩いているものの、初めて訪れる場所というのは、歩いても歩いても、なかなか目的地にたどり着かないものだ。

「ドドーン」と雷鳴が響く。小さな稲光も走り始めた。
「これは大変。早く、早く」
自分を鼓舞しながら歩みを進める。

横断歩道を渡り、「戸定邸」と書かれた看板を目印に、最後の坂道を駆け上る。
ポツリ、ポツリと落ちていた雨粒が、やがて小雨となって降り始めていた。

目前に、石段と趣のある藁葺き屋根の門が見えてきた。

急いで登り、門をくぐる。
道に沿って入口を見つけると、安堵感で「ほっ」と胸をなで下ろした。


すると、受付の女性が、優しく「雨が降ってきましたね。大丈夫ですか?」と声をかけてくださった。

到着は、13時35分を過ぎた頃。
戸定邸の入館料は250円。歴史館は展示替えのため休館中だった。

ちょうど、30分からガイドツアーが始まったばかりとのことで、すぐに合流するよう勧められた。
息をつく暇もなく奥へ進むと、畳敷きの広い部屋が現れた。

15人ほどの見学者が集まり、すでにガイドが始まっている。
私は、係の方や周囲の観光客に会釈をして、ツアーに参加させていただいた。

この部屋は、戸定邸の中心となる客間だった。
六十四畳の居間。床の間を背にして座り、庭を眺めるのが最も美しいとされている。

当時は、その場所から江戸川や富士山を望むこともできたという。
欄間は、葵の葉を二枚組み合わせた意匠になっており、部屋の細部にまで、徳川家らしい格式が感じられる。

ところで、当主である徳川昭武公は、徳川慶喜公の異母弟で、16歳年下である。

兄・慶喜公から将来を期待され、1867年にはパリ万国博覧会へ随行した。

若き昭武公は、そのままヨーロッパ各地を巡り、西洋の文化や技術に触れたという。

しかし、その滞在中に大政奉還が行われ、幕府は終焉を迎える。
帰国したときには、将軍という地位そのものが消滅しており、昭武公は、時代そのものが激変する中で、本人の意思とは関係なく、別の人生を歩むことになった人物であった。

雨は豪雨に変わり、雷鳴は何度も響き渡る。
美しく磨かれた窓ガラスは、後から設置されたものだと伺った。
時代ものらしく、外の景色が歪んで見える。

ツアーは続き、客間や昭武公の書斎がある表座敷棟、子供部屋や衣装・化粧部屋として使われた中座敷棟、寝所と妻八重の部屋がある奥座敷棟、そして、掛け湯として使われた湯殿。少し離れた昭武公の母の部屋にあたる離座敷棟、使者の間棟と回った。

あまりの雨の強さに、見終わった部屋から順番に、職員の方も慌てて、当時の雨戸を閉めていく。

戸定邸には二十三部屋がある。
洋間や板の間はない。
使用人の部屋や土間については、見学できなかった。

ツアーは一巡し、入口近くにある内蔵棟を見学した。


そこには「葵紋付長持」が展示されていた。昭和天皇の弟・高松宮宣仁親王に嫁がれた、徳川慶喜公の孫・喜久子妃の婚礼調度の一つである。
また、手前にある「蟹牡丹唐草文鉢」という大きい丸い鉢は、奥の中庭に置かれ、昭武公らが金魚や睡蓮を育てていたとみられる。いずれも後に寄贈されたものだという。

そして、こちらは、明治時代のテーブル。昭武公が母と共に撮影した際に使われたものだ。

「やっと、徳川家の方々の調度品に触れることができた。」

ツアーは終わり、「雨が納まるまで、ゆっくりして行ってくださいね。」と声をかけてくださった。

他の見学者の方々は、思い思いにくつろいでいる。
私は、再度、一人でゆっくりと部屋を見学して回った。

つい先日、旧古河邸を見に行った。
それから、こちらの戸定邸を見て、不思議だなぁと思う。

徳川将軍家の流れをくむ家なのに、戸定邸があまりにも質素な造りだからである。
徳川昭武公はフランス留学の経験があり、古河虎之助氏はイギリス留学の経験がある。
明治から大正にかけて、どちらも私邸として邸宅建築が残っているが、その性格は対照的だと感じた。

・戸定邸 → 徳川家(旧武家・華族)
 政治権力はすでになく、華美を避けた静かな生活。

・旧古河邸 → 古河財閥(実業家・資本家)
 権力ではなく、富と洋風の華やかさで存在感を示す邸宅。

同じ「上流の暮らし」でありながら、格式と華やかさという方向性の違いが、そのまま建物にも表れているように感じる。

戸定邸では、仕えていた人々の役割や職位についての説明もあり、そこには家族だけの私邸ではなく、かつての城下にあったような役割の体系が、形を変えて残っていることが感じられた。
政治の中心から離れ、大名から華族へと移り変わる中でも、品格ある暮らしが続いていたことがうかがえた。

実は、家を出る前に考えていた。

語弊があることは承知している。
私が訪れた、まだ数少ない古い建築は、外観こそ当時のままかもしれない。けれど、内装は当時の面影を残しながらも、修繕や改装が行われ、当時実際に使われていた家具や食器がない状態で、「こちらが居間でした」「こちらが寝室でした」と説明を受けても、当時の暮らしを知らない私には、その情景を思い浮かべることが難しい。

時代劇は想像の助けにはなる。けれど、あくまで作られた世界だ。
私が知りたいのは、「実際はどうだったの?」なのである。

生活感のない、ガランとした部屋を見て、本当に面白いのだろうか。そんな思いも、心のどこかによぎっていた。

2026年。今、私は戸定邸の客間に座って、
雨音を聞きながら、しみじみと庭園を眺めている。


徳川慶喜公は、昭武公と親しく、何度か戸定邸を訪ねて来ていたこともあったようだ。

床の間を背にして、ここに座り、コウヤマキやアオギリという木立と青く美しい芝生の庭園を見て、談笑し、穏やかな時間を過ごしていたのだろうと想像すると、

あぁ、ダメだ。
私は、ただのミーハーだ。

やっぱり、なんとも言えない感動が込み上げてくる。
この建物には、資料には書かれない“家”の記憶が染み込んでいる気がした。

たぶん、大雨を降らせ、足止めしてくださったのは、かつてここに住まわれていた徳川家の方なのではないか、と私は思ってしまうのである。

ところで、家に帰って改めて調べてみた。
最初に疑問であった、なぜ旧水戸藩主が千葉県松戸市に住んでいたのか。

徳川昭武公は、幼少の頃は水戸の武家屋敷で育っていた。

しかし、明治維新によって水戸藩は廃され、大名としての政治的な役割は失われる。

その結果、旧大名家は東京近郊で生活する必要が生じ、水戸徳川家もその生活拠点を移すことになった。

そして選ばれた場所の一つが、千葉県松戸の戸定邸である。

申し訳ないが、正直、徳川昭武公のことは存じ上げなかった。
徳川慶喜公にも、特に強い関心があったわけではなかった。

現代では、私とは縁遠い方々。

それでも私邸を訪ねて、ほんの少しだけ、昭武公とその家族の気配・体温・息づかいを感じられた気がした。

思いつきで出かけて行き、この年齢になって、興味のなかった世界の扉が開くのは、本当に楽しい。

少しずつ知識や情報を刻み、点にすらなっていなかったものを見つけ出して、繋げていく。

面白い楽しみを見つけたものだ。
自分でも呆れるようであり、宝物のようでもある。

ガイドの方が、秋もよいと言っていた。
梅、桜、ツツジなど四季折々の自然を楽しむことができる。

そして、歴史館では、幕末から明治にかけての古写真や資料、戸定邸の歴史を語る調度品や文書、昭武公の手元にあった遺品等が公開されているそうだ。今度は、ぜひ展示をしている時期に、改めて来たいと思っている。

今度はもっと感動しそう。

※戸定歴史館の詳細はこちらからご覧ください。
戸定歴史館|松戸市

※旧古河庭園の記事はこちらからご覧いただけます
【旧古河庭園】バラと日本庭園、大正の洋館へ。一人で巡るガイドツアー体験記 - 日いづる処の美の日誌

美術館・歴史ある建物・庭園の楽しみ方|予習派と直感派、それぞれの魅力

美術館や歴史ある建築、庭園を訪ねるとき、皆さんは事前に調べてから出かけますか?それとも、直感を頼りに「面白そう」と感じた場所へ足を運ぶタイプでしょうか。

今回は、私なりの「アートや旅の楽しみ方」を綴りながら、皆さんはどちらのタイプなのか、ぜひお聞きしてみたいと思います。

突然ですが、皆さんは次のどちらのタイプに近いですか?

① バッチリ予習派
事前に本やネットで知識を蓄え、背景を理解してから訪れる、準備万端タイプ。

② ノリノリ直感派
SNSや口コミで「面白そう!」と心惹かれ、気持ちが動いたら、まずは足を運んで楽しむタイプ。

私は、明らかに後者の「ノリノリ直感派」です。

とはいえ、完全にゼロの状態で出かけるわけではありません。
テーマや、どのような作品が展示されているのかなど、基本的な情報には目を通しておきます。

あとは、現地に着いてからのお楽しみ。
そんなスタイルで、美術館や歴史ある場所を訪れています。

なぜこんな質問をしたかというと、以前、何度か訪れた場所で、ある光景に出会ったからです。

美術館や歴史ある建物を歩いていると、2〜3人のグループで来られている方々を見かけることがあります。

その中のお一人が、展示品や建物について、とても詳しく説明されている場面に遭遇するのです。

専門家の方なのかと思うほど、歴史や背景について豊富な知識をお持ちで、きっと心からその分野がお好きなのでしょう。

もしかすると、講座やセミナーに参加したり、本を読んだりしながら、ご自身で学びを深めてこられたのかもしれません。

ついつい聞こえてしまうので、少しだけ耳を傾けていると、

同伴されている方の、

「あら、そういうことだったの!」
「だから、あれと繋がるのね」

という弾んだ声が聞こえてくる。

バラバラだったパズルのピースが、きれいにはまっていくようで、私までワクワクしてしまいます。

すでに自分の中に豊かな知識という「前提」を持っているバッチリ予習派の方々にとって、現地を訪れることは、きっと極上の「答え合わせ」の時間なのだと思います。

頭の中で描いていた歴史や背景が、目の前にある本物と重なっていく。

そんな楽しみ方ができるなんて、なんて豊かで格好いいのだろうと、つくづく尊敬してしまいます。

だったら、「光梅も、事前に調べて知識を入れてから出かければいいじゃない」という声が聞こえてきそうですね。

はい、おっしゃる通り。

けれど、私は、その場所に立った瞬間に受け取った「第一印象」を大切にしています。

「こう感じたんだ」
「こう見えたんだ」

と、自分自身の感性に驚いたり、面白がったり、ときには期待していたものとは違って、少しがっかりしたり。

そんなふうに揺れる自分の感覚が、我ながらなかなか愉快なのです。

なにせ私は、風の向くまま、気の向くままの風来坊なので(笑)。

そして、私の本当の楽しみは、ここから。

家に帰り、まだ余韻が残っているうちに、背景や疑問などを調べてみる。そこで得た知識が、一つひとつ私の中へ染み込んでいく。

また新たな疑問が浮かべば調べる。それを繰り返していると、次から次へと興味が広がり、気づけば最初に訪れた場所から思いもよらない扉をノックしていることがあります。

それが、私の愉しみであり、私なりの鑑賞法なのです。

そうして、この奥深い愉しみに気づけたのも、ブログに書き残しているからこそでした。

さて、最初の質問に戻ります。

皆さんは、じっくり調べてから出かける「バッチリ予習派」ですか?
それとも、私のように「へぇ、面白そう!」という気持ちをきっかけに、まずは足を運ぶ「ノリノリ直感派」ですか?

「私はこんなふうに楽しんでいるよ!」というお話、ぜひコメントで教えていただけると嬉しいです。

これからも、引き続き、よろしくお願いいたします。

父の日の贈り物はゴディバのチョコレート

九十歳を過ぎた父への今年の父の日の贈り物は、ゴディバのチョコレート。調べてみると、私が長年抱いていた「ベルギー王室御用達の高級チョコレート」のイメージとは異なる現在の姿に驚かされました。そして、その先に見えてきたのは、家族の穏やかな時間でした。

今日は父の日ですね。
皆さんは、お父様にどんな感謝を伝えていらっしゃいますか?

例年わが家では、母の日と同じように、姉が花を選んでオンラインで注文し、折半でプレゼントをしています。

父が若い頃は、服や靴、お酒などを贈っていました。

けれど、九十歳を過ぎた今では、以前とは少し事情も変わってきました。

運動不足解消のため、少しでも散歩に出かけてくれるとよいのですが、着替えて外出すること自体が、なかなか億劫になってきています。

少し前までは、評判のよいお店に外食に出かけたりしていましたが、最近はそれも体力的に辛いようです。

以前に比べると食も細くはなっているものの、食べることは今でも大好きです。特に甘いものには目がありません。

和菓子やクッキー、チョコレートが大好きなので、今年の父の日は、ゴディバのチョコレートを贈ることにしました。

ところで、私はずっと、「GODIVA」のチョコレートはベルギー王室御用達の高級チョコレートだと思っていました。ところが、調べてみると、現在は創業家の手を離れ、世界の流通と日本の流通も異なっていることを知りました。

日本で事業を行っているゴディバ ジャパンは、現在、韓国系投資会社MBKパートナーズ系の企業の傘下にあり、本社を六本木に置いて、日本独自の商品開発や店舗運営を行っています。

そのためか、私がかつて抱いていた「高級チョコレート専門店」というイメージも変わり、今ではカフェを展開し、クッキーや焼き菓子、アイスクリーム、パン(ゴディパン)、クレープ、コーヒーやドリンクなども楽しめるようになっています。

世界初の「ゴディパン」も日本で誕生したそうです。

ベルギー王室御用達の伝統を受け継ぎながらも、日本では「チョコレートを中心としたプレミアムスイーツブランド」として独自の進化を遂げているようです。

さすが、日本ですね。

日本人の好みに合わせながら独自の形に育てていく。その姿は、明治時代に西洋文化を取り入れながら日本らしさを失わなかった先人たちの姿にも、どこか重なって見えます。

今も昔も、日本人のそうした柔軟さは変わらないのかもしれません。


そんなことを考えていた矢先、早速、父と母がゴディバを一つずつ口にしました。

「うわぁ、コクがあって美味しいなぁ」
「一つでも、食べ応えがあるわねぇ」

父の顔がぱっとほころび、母も嬉しそうです。

少しでも美味しいものを食べて、心が満たされ、穏やかな時間を過ごしてくれたら、それが何よりの親孝行。

な〜んて、私が言うことではありませんが。笑

今年の父の日は、チョコレートのプレゼントが大成功。
家族と過ごす穏やかな時間となりました。

※ゴディバのプレゼントはこちらです。

【旧古河庭園】バラと日本庭園、大正の洋館へ。一人で巡るガイドツアー体験記

バラが咲く季節、旧古河庭園を訪れた。ジョサイア・コンドルの洋館、日本庭園、茶室を巡りながら、大正の面影と静かな時間を味わった一人旅の記録。

バラの季節。旧古河庭園に行きたいと思った。

大正の面影を偲びながら、バラの優雅な美しさと日本庭園の静けさに包まれ、しばし日常を離れてみたいと思ったから。

洋館とバラ園は、英国出身の建築家ジョサイア・コンドルが設計し、
日本庭園は、京都の作庭家・七代目小川治兵衛(植治)が手がけている。

ふと公式サイトをのぞいてみると、ちょうど洋館のガイドツアーが開催されていた。平日の12時50分の回を一名分、予約フォームから申し込んだ。

ガイドツアーに一人で参加するのは、正直なところ、勇気がいる。

いつも一人で行動する私でも、申し込むときには少しためらいがあった。

けれど、家族や友人との予定が合わないから行くのを諦めるなんて、どこかもったいない。

行きたいと思ったときに、その気持ちを大切にして行動できる人でありたい。だって、自分軸を持って生きたいもの。

ふふっ。ちょっと大袈裟だけれど、そんな風に思っている。

そこで以前、別のガイドツアーに参加したとき、男女問わず一人で参加している人が多く、「これなら、私も大丈夫かもしれない」と思い、今回は一人で申し込んでみたのだ。

ところで、
旧古河庭園への行き方はいろいろある。

私は、JR京浜東北線の上中里駅で下車。緩やかな上り坂を歩きながら、庭園へ向かう。


坂道の途中、右手に平塚神社が現れる。

平安時代末期に創建されたと伝わる古社で、源頼朝の先祖にあたる源義家などを祀る神社だそうだ。

頼朝の先祖だなんて、ずいぶん古いのだなぁ。

武運長久や開運、厄除けなどのご利益があるという。

以前来たときはお参りしたのだが、今回はそのまま通り過ぎてしまった。

帰宅して調べてみると、病気平癒のご利益もあると知り、「お参りしておけばよかったな」と少し思ってみたりもした。

それから横断歩道を渡り、左手に進むと旧古河庭園の門が見えてくる。
駅から歩くこと約7分。

到着したのは、6月の第2週。平日の午前11時30分頃だった。
入園料150円を払い、まずはバラ園へ向かう。

バラが咲くタイミングは難しい。
数年前に来たときと、同じ頃に来たつもりだったのだが、今回は咲いているバラの数が少ない。



全体を見渡すと少し寂しい。けれど、近づいてみると、美しく咲いたバラが迎えてくれた。

一人でも

「うわぁ〜、キレイ」

「なんて素敵な色合い」

と、声が漏れる。

優しい気持ちになったり、元気をもらったり、なんだか分からないけれど、バラを見ていると「大丈夫」と思えたり……。

そんなふうに、人にとって花は大切な存在なんだね。

次は、階段を下り、日本庭園へ向かう。

日本人にとって、「日本庭園」ってどんな意味があるのだろう?

祖父母の家にも、祖父が作った小さな庭があった。季節の木々が植えられ、灯籠があり、ゆるやかな起伏もあって、飛石を伝ってぐるりと一周できるようになっていた。子供の頃、そこを歩いて回るのが楽しかった。




財閥の家ともなると、「池泉回遊式庭園(ちせんかいゆうしきていえん)」。
枯滝や石組など枯山水の趣もあれば、大滝や池、橋もある。
歩いていると、庭の表情がどんどん変わり、いつしか遠くへ来たような気持ちになる。時間を忘れ、深い静けさに包まれる。
そうした広い庭を構えることは、日本人の憧れであり、社会的地位の象徴でもあったのかもしれない。

だから日本庭園に来ると、私は気持ちが上がる。
ワクワクするし、嬉しくなる。

この庭園はどんな意匠で、どんな仕掛けがあるのだろうと、興味が湧き、期待が高まっていく。

いにしえの作庭家たちの趣向に、感嘆したり、驚いたり、小さな気づきに出会えたり。

まるで別の時代に迷い込んだような気持ちになり、殿や姫君の気分に浸ることができる。

春の新緑、夏の木陰、秋の紅葉、冬の静寂。
満開の花だけでなく、散りゆく花や、うたかたの水の揺らぎにも美しさを見いだす。


慎ましやかでありながら、自然への畏敬の念を忘れない。

足りないことや質素であることの中に、心の豊かさや美しさを見いだす「わび」。

時を重ねたものに宿る味わいや、静かで古びた趣に美を感じる「さび」。

そうした美意識を、言葉にせずとも暗黙のうちに感じ取ることのできる日本人。

その独自の感性は、日本庭園に息づいている。
だから、この風景は、日本人の心の奥底に残り続けているのかもしれない。

そうこうしているうちに、私が好きな場所に辿り着く。
ここ。

茶室へと続く石段だ。

まるで山道を歩いているかのように、緩やかに登っていく。


そして、下り、庭を巡りながら、茶室へ。






ここでの一服は、私のささやかな贅沢。

この日は曇り空だったけれど、風が心地よく、一服をいただくにはちょうどよい涼しさだった。

目の前に広がる景色。
頬をなでる風。

和菓子のやさしい甘さ。

お抹茶の鮮やかな緑と、ほろ苦さ。

すべてが調和している。


至福のひととき。

―― あっ、本日のメインは洋館ツアー。

うっかり、時を忘れてしまうところだった。
名残惜しく茶室を後にし、日本庭園を抜けて旧古河邸へ向かう。


洋館の入口で支払いを済ませる。ガイドツアーは800円也。

靴は靴袋に収め、大きな荷物は事務所で預かってもらえる(貴重品を除いて)。

ガイドツアーでは、各部屋の詳しい説明を聞きながら巡ることができる。さらに、通常は入れない2階の居室にも足を踏み入れることができる。

ツアーには予約が必要で、各回15名限定。
私の回は平日のせいもあってか、女性が多かった。
ご夫婦が二組、少人数のグループがいくつか。
一人での参加も、私を含めて三人ほどいた。

さて、ツアーは1階のホールから始まる。

古河邸の当主は、古河財閥三代目の古河虎之助。
その妻・不二子は、西郷隆盛の弟・西郷従道の娘にあたる。

当時は「絶世の美男美女」として語られていたという。

古河虎之助は、英国に留学した経験もあり、お洒落な人物だったといわれている。

1階は、ホール、ビリヤードルーム、応接室、ティールーム、大食堂など、まさに英国式の洋室で構成されており、賓客を迎えるための場だった。

暖炉やマントルピース、廊下の窓ガラスの一部、照明など、いくつかの調度は大正時代のものがそのまま残されている。

古河夫妻がもてなした来賓の談笑や、葉巻の香り、靴音、婦人方の微笑み。洋館の華やかさが、記憶として刻まれているようである。

コンドルが抱えた職人たちは非常に腕が良く、その仕事の跡が今も随所に残っている。

そして2階へ。
居住空間を見られることが最大の楽しみ。

なんと、ゲストルームとご夫婦の寝室以外は和室なのだ。
あの古河邸に和室があるという事実が、一番のサプライズだった。
和室と洋室の調和には、一工夫が感じられる。それもまた、コンドルの粋な計らいなのかもしれない。

まずは仏間。
黒漆の火灯窓が美しい。
金箔が吹き付けられた壁や襖。
静かで、品格のある、素晴らしい空間だった。

極楽浄土に向かって手を合わせられるよう、西を拝む形になるように、仏壇は東向きに配置されているという。
神仏と先祖を敬うための祈りの場である。

次は客間。
華美ではないが、極上の和のしつらえで、来賓への心遣いが随所に感じられた。

そして、ご夫婦で寛ぐ畳敷きの居間。
南側に面し、バラ園や庭園を一望できる。高台にあるため、当時は富士山も見えたという。
まさに家主ならではの特等室だった。

大正時代の暮らしを思えば、畳の心地よさや、着物の衣擦れ、足袋の足音が、今も残っているようだった。

けれど、虎之助ご夫婦がこの洋館で暮らしたのは、大正6年(1917年)からわずか9年だったという。

理由は、大正12年(1923年)の関東大震災に加え、財閥の経営や財政面など、さまざまな事情が重なったためとされている。

加えて、最新鋭の設備を備えた大邸宅ゆえに、日々の暮らしには負担もあったようだ。館内の暖房は暖炉が主で、全体を暖めるには丸2日を要したともいう。

風呂の湯も1階のボイラーからバケツで15杯ほど運ばなければならなかったと聞く。

時代を先取りした豪華な造りも、日々の生活の中ではあまりに規模が大きく、維持には厳しさがあったのかもしれない。

その後、古河邸の洋館は関東大震災や戦争を経て、幾人もの手を経た。
戦後、古河家と親交のあった大谷米太郎が敷地と建物を引き継ぎ、現在は庭園を東京都が、洋館の建物を公益財団法人大谷美術館がそれぞれ管理・運営している。

ツアーを終え、もう一度バラ園から邸宅を望む。
外観からは想像もつかない和室。
いまでは、あそこが居間で、あちらが寝室だったなと、部屋の様子が目に浮かぶ。


5月の最盛期を過ぎたあとも、6月中旬から下旬にかけて「二番花」が次々と開花し、初夏へとバラの季節をつないでいく。

そして秋には、和洋折衷の美しい景色が広がる。

10月は優美な秋バラが主役となり、12月が近づくにつれて、日本庭園の鮮やかな紅葉へと主役が移り変わっていく。

ちょうどその中間にあたる11月中旬頃に訪れれば、バラと紅葉の贅沢な共演を楽しむこともできるようだ。

次は、旧古河庭園の秋の風情も感じてみたい。

※開園時間や洋館ガイドツアーなどの詳細は、旧古河庭園の公式サイトをご確認ください。
旧古河邸 | 公益財団法人 大谷美術館