東京・上野は、パワースポットだった。徳川家康の「強運」を探りながら、天海大僧正、良源大僧正へとつながるご縁をたどり、開山堂と上野東照宮を訪ねた。そこで、強運とは何か、私なりに考えたことを綴っています。
- ほんと? 上野東照宮で、徳川家康をお参りできる!!
- 家康を支えた天海、そして良源へ
- 東叡山寛永寺 開山堂 両大師へ
- 雨の上野を歩いて、上野東照宮へ
- 上野東照宮、奥参道でのひと時
- 金色殿で、三人の御祭神にお参り
- おわりに
ほんと? 上野東照宮で、徳川家康をお参りできる!!
きっと、誰もが願う。
安心安全な環境で、心と身体はすこやかに。
ささやかでも幸せに暮らしたい。
けれど、人生は、自分の決断や行動だけではどうにもならず、動きたくても動けないこともある。
そんなとき、人は神様や仏様に手を合わせ、お導きやご加護を願うのもいいのかもしれない。
願いが届き、ご加護が得られますようにと。
あるとき、東京・上野にある開山堂と上野東照宮は、とてもパワフルな御利益があるらしいと知った。
今の状況を変えたいとき、まずは開山堂で厄を落とし、次に上野東照宮で神気を授かる。私は、この順番でお参りするのがよいのではないかと思いついた。
「へぇ〜。上野に、そんな御利益で有名な寺社あったんだ!?」
上野東照宮には、何度かお参りしたことがある。
日光東照宮が徳川家康公の墓所であることは知っていた。
けれど、「東照宮」とつく神社が、徳川家康を神として祀っていることまでは分かっていなかった。
だって、初めて行ったのは、小学高学年の修学旅行だもの。寺社や祈願に興味を持つ年頃でもないものね。大人になって観光で訪れた時には、陽明門は綺麗だなぁぐらい。
そして現在。こんなにも展覧会を見に上野へ出かけているのに、開山堂のことも、両大師のことも、全く知らなかった。
いつもは、美術館へまっしぐら。
今回は、初めて訪れる開山堂も、あらためてお参りする上野東照宮も、なんだか新鮮でワクワクした。
家康の処世術が、「強運」をつかんだ所以?
突然ですが、まずここで、徳川家康の生涯を年表で振り返ってみたいと思う。
|年齢・年(数え年)|出来事|
| 0歳・1542年 | 三河国岡崎城で生まれる |
| 幼少期 | 母と離れ、父とも死別。人質として尾張・駿府で過ごす |
| 19歳・1560年 | 桶狭間の戦いを機に、岡崎へ戻る |
| 21歳・1562年 | 織田信長と清洲同盟を結ぶ |
| 31歳・1573年 | 三方ヶ原の戦いで武田信玄に大敗 |
| 38歳・1579年 | 妻・築山殿と長男・信康を失う |
| 41歳・1582年 | 本能寺の変で織田信長を失う |
| 45歳・1586年 | 豊臣秀吉に臣下として従う |
| 49歳・1590年 | 関東へ移封され、江戸を本拠とする |
| 59歳・1600年 | 関ヶ原の戦いで勝利 |
| 62歳・1603年 | 征夷大将軍となり、江戸幕府を開く |
| 73~74歳・1614~1615年 | 大坂の陣。豊臣家を滅ぼす |
| 75歳・1616年 | 駿府で死去 |
こうして年表で見ると、家康の人生は波乱万丈だ。
あの戦乱の世で生き抜き、結果的に天下を取った人生は、「強運」って呼べるのかもしれない。
ただ、運だけでは、ここまでの人生は築けない。
では、家康は何をつかんで、ここまで上りつめたのか。私なりに探ってみよう。
まず、家康には、才能もあった。決断力も、忍耐力もあった。
子どものころから人質として生きることを強いられた家康にとって、自分の思い通りにならないことは、きっと多かったはずだ。
だからこそ、生き抜くために、自分の感情やプライドをいったん脇に置き、その時々の状況を見て、どう動くべきかを考える力が身についたのではないだろうか。
勝てないときは耐える。力のある相手には従う。情勢が変われば、自分の立場も変える。そうして、その時々の最善と思う手を選んでいった。
いい意味での、「長いものに巻かれろ」?!
すごいなぁ。達観する姿勢を持っていらっしゃったのかしら。私なら、絶対に焦ったり、八つ当たったり、自暴自棄になったり、自ら堕落してしまいそう。
そして、もう一つ、家康のすぐれたところは、人との縁も大切にしたことだ。相手の力を見極め、無理に敵を作らず、長く関係を保つ。
だから、彼の周りには、家臣をはじめ、家康を慕い、支える人たちが集まっていった。
「この人なら、ついていける」
「この人には、力を貸したい」
そう思わせる人柄が、家康にはあったのだろう。
つまり……
家康には、物事の理(ことわり)を受け入れ、過度な期待や執着を手放す精神的な強さと、秀吉とは異なる、家康ならではの「人たらし」。
それが、家康たる「処世術」であり、巡ってきた契機をつかんだからこそ、「強運」を味方につけられたのかもしれない。
家康を支えた天海、そして良源へ
そして、そんな家康のそばには、晩年まで仕えた僧侶がいた。それが、天海大僧正(てんかいだいそうじょう)である。
天海(慈眼大師)は、徳川家康・秀忠・家光の三代に仕えた天台宗の高僧。
しかも、ただの僧侶ではない。
仏教だけでなく、当時のさまざまな思想や知識にも通じ、江戸の町のあり方にも関わったとされる。
家康が天海を重用したのも、こうした豊富な知識や、先を読む力を見込んでのことだったのだろう。
そして、天海について調べていると、もう一人の僧侶の名前が出てくる。
良源大僧正(りょうげんだいそうじょう)である。
良源(慈恵大師・元三大師)は、平安時代の天台宗の僧侶。
比叡山延暦寺の中興の祖とされ、天台宗の発展に大きく貢献した人物である。また、天海が尊崇していたことでも知られている。
そして、良源といえば、角大師や豆大師のお姿が護符として信仰されており、さらに、「おみくじ」の元祖としても知られている。
東叡山寛永寺 開山堂 両大師へ
さて。まずは、開山堂 両大師(かいざんどう りょうだいし)へ向かう。
JR山手線・京浜東北線の上野駅で降りる。
公園口の改札から、東京国立博物館方面へ歩く。
東京国立博物館の入口には入らず、入口に向かって右手へ歩くと、開山堂の幟(のぼり)が見えてくる。ここまで徒歩約10分。

開山堂の幟

開山堂の門
門をくぐると右手に、阿弥陀堂。

阿弥陀堂
中には、阿弥陀如来を中心に、虚空蔵菩薩と地蔵菩薩がお祀りされている。
また、扉には、良源大師=角大師(つのだいし)の護符の説明があった。

角大師の説明
良源大師が疫病退散の祈祷をした際のお姿が、鬼のようだったという伝説に基づく、魔除けのお札(護符)のことである。
開山堂

開山堂
天海大師と良源大師が祀られているお堂だ。現在のお堂は平成5(1993)年に再建された。
天海大師は、東叡山寛永寺を開山した。寛永寺は徳川家の祈祷寺だが、比叡山延暦寺にならって造営された。また、上野の山に吉野の桜を植え、不忍池を琵琶湖に見立てるなど、上野を人々が楽しめる場所にしていった僧侶でもある。
厨子の中に、両大師が祀られている。

両大師が祀られている厨子
せっかくなので、御守りを購入した。

角大師のお守り。台紙には「厄除け」「災難除去」「疫病退散」

裏「天然木 撫で守り(てんねんぼく なでまもり)」
袋から出すと、ヒバかな?
ヒノキかもしれない。
側に置いておくだけでも、空気が澄んでいくようだ。
いい香り。堪らない。癒される。
最近、豪雨や地震といった自然災害も多い。
これで守っていただけそう!……と思うや否や、雨が降り始めた。
強い雨足。稲妻と雷鳴。
両大師と縁を頂ける時間だと、都合よく解釈をし、雨が弱まるまで軒下で雨宿りをさせて頂いた。
開山堂の方には、長居をしてご迷惑だったかもしれない。
雨の上野を歩いて、上野東照宮へ
雨足が弱まるのを見計らって、次は、上野東照宮へ向かった。
上野東照宮まで徒歩で約7〜8分。
開山堂を背にして、右へ歩く。
東京国立博物館の入口まで戻り、横断歩道を渡り、噴水池の横を通り、上野動物園の入口方面へ向かうと、上野東照宮の幟(のぼり)が見えてくる。
この間に、雨足は強くなったり、弱まったり。
傘をさしていても、びしょ濡れだ。
「さっ、災難除去は……? いや、これぞ厄落とし!」
浄化の雨に打たれつつ、上野東照宮の参道を歩く。

上野東照宮の前の参道
上野東照宮、奥参道でのひと時
鳥居をくぐる。

大石鳥居
1633年奉納の大石鳥居。国指定重要文化財である。
いつもなら、この唐破風造り四脚門(からはふづくりよつあしもん)の前で参拝を終える。
唐門
赤・青・金箔の極彩色が美しい。
国指定重要文化財が、こんな吹きっさらしでいいのかしら。
そう思って、帰宅してから調べてみた。
すると、唐門の柱には、左甚五郎(ひだりじんごろう)作と伝わる「昇り龍・降り龍」の彫刻があることを知った。
「えっ、左甚五郎ですって。」
左甚五郎と言えば、小・中学校の修学旅行で行く、日光東照宮の「眠り猫」。京都・知恩院の七不思議として伝わる「忘れ傘」。
こんな近くで、名だたる作品を見ることができるなんて。これだけでも満足なのだけれど。
東照宮では、徳川家康の死後、「東照大権現(とうしょうだいごんげん)」という神号で、神として祀られている。
今回は、社殿の前で、神となった徳川家康の御前で拝みたい。
社殿に向かって左手にある、神符授与所で拝観料を払い、奥参道にある「静心所」へ。

静心所
拝観前に樹齢600年を超える御神木と対面して、気持ちを鎮める。心を整える。

御神木 大楠
ピーンと張りつめたご神気を感じる。
背筋が伸びる。
雨が降っていたためか、拝観者は奥参道を通るが、静心所に立ち寄る方はいらっしゃらなかった。
独り占めだ。(笑)
社殿に向かう前に、奥に鳥居と祠がある。

栄誉権現社の鳥居と祠
栄誉権現社(えいよごんげんしゃ)。

栄誉権現社案内

栄誉権現社案内

栄誉権現社 中央にお狸様
「他を抜く」という意味から、お狸様が祀られている。
可愛らしいお姿なのだけれど、なんだかパワーがありそうだ。
金色殿で、三人の御祭神にお参り
そして、いよいよ金色に輝く「金色殿」だ。

脇からみた金色殿
国指定重要文化財。上野東照宮は、1627年に創建された。現在の金色殿・唐門・透塀は、三代将軍・徳川家光が1651年に造営替えしたものである。
江戸の人々にとって、遠く日光までお参りに行くのは容易ではなかっただろう。上野に、これほど豪華な東照宮があることは、当時の人々にとっても誇りであったのではないかしら。
本当に、日光東照宮の荘厳さにも引けを取らない、美しい社殿だ。

金色殿正面
雨に濡れた境内に、しっとり輝く金色もおつなものである。
御祭神は、徳川家康公、徳川吉宗公、徳川慶喜公。
御利益として、出世、勝利、健康長寿などが挙げられている。
徳川幕府を「始めた」家康公。
徳川幕府を「立て直した」吉宗公。
徳川幕府を「終えた」慶喜公。
参拝者はお互いに譲り合いながら、お参りをし、ベストポジションから写真を撮る。長居はしない。
私の順番が来た。
お人払いをしてくださったのか、金色殿の前にいるのは、私一人。

金色殿正面
感無量。
あれも、これもと願いを伝えた。
傘を置いて、全身でご神気を浴びようと手を広げた。
最後にもう一度、手を合わせて、上野東照宮を後にした。

社殿から見た唐門

透塀(すきべい)
そして、これも買ってしまった。
昇龍守。

こんな袋に入れて授与してくださる。

すごい特別感!
昇龍守(毎月16〜18日限定)
2000円
強運・勝利・出世祈願。通常は毎月16〜18日の限定授与ですが、4月は16〜19日に授与。お一人様1体。
※時期により授与日や数量が異なる場合があります。詳細は公式HPをご確認ください。
おわりに
私が即席でなぞった徳川家康の人生。
幼少の頃から不遇な境遇をくぐり抜け、江戸初期に70代まで生き抜いた。それは、才能や人徳、忍耐強さの積み重ねによって、家康が「運」を味方につけていったのだと思う。
そして、上野東照宮の由来を読んで、さらに驚いた。
徳川家康は、東照大権現という神様として祀られてから、さらに力を増し、「強運」や「加護」を授けてくださっているように思うのだ。
約260年続く徳川幕府の礎を築いたこと。
そして、戊辰戦争の上野戦争では火の手が及ばず、関東大震災にも倒れず、東京大空襲では金色殿のすぐ裏に焼夷弾が投下されたにもかかわらず、不発弾で倒壊を免れたこと。
江戸初期に建てられた金色殿が、東京の大きな災禍をくぐり抜け、今も残っている。
これって――。
東照大権現と天海大僧正と良源大僧正のご加護としか思えない。
きっとそう。絶対にそう。
けれど、実際に訪れて調べたことで、開山堂の由緒を知った。さらに、上野東照宮の「強運」と「加護」の強さも知ることができた。
徳川家康は、私にとって歴史上の人物という感覚でしかなかった。
昔の人。生きていたとしても遠い存在。神ともなれば、雲の上。
それが、上野東照宮にも祀られていることで、身近にお参りできると思うと、上野へ行くことも楽しみの一つとなった。
そして、今回のお参りで、私自身のお参りの仕方についても、新たな気づきがあった。
次回は、「なぜ私は、願うより誓願するほうがいいと思ったのか」を書いてみたいと思う。
東叡山寛永寺 開山堂 両大師
■所在地:東京都台東区上野公園14-5
■アクセス ・JR「上野駅」徒歩約10分 ・JR「鶯谷駅」徒歩約8分 ・東京メトロ銀座線・日比谷線「上野駅」徒歩約10分
■開堂時間:9:00〜16:00
※最新情報は公式ホームページをご確認ください。
■公式ホームページ 開山堂(両大師)公式ホームページはこちら⇒https://kaisando.kaneiji.jp/
上野東照宮
■所在地:東京都台東区上野公園9-88
■アクセス ・JR「上野駅」公園口 徒歩約10分 ・東京メトロ銀座線・日比谷線「上野駅」徒歩約10分 ・京成電鉄「京成上野駅」徒歩約12分
■参拝時間:9:00〜17:30(10月〜2月は9:00〜16:30)
■拝観時間:9:30〜17:00(10月〜2月は9:30〜16:00)
※最新情報は公式ホームページをご確認ください。
■公式ホームページ 上野東照宮公式ホームページはこちら⇒https://www.uenotoshogu.com/
