日いづる処の美の日誌

光梅|美しいものを慈しむくらしの記録

「至宝集結」は本当だった!東京国立博物館「空海と真言の名宝」

まさに、至宝集結!東京国立博物館で開催された『空海と真言の名宝』。秘仏や「後七日御修法」に心を奪われ、3時間半以上、どっぷりとその世界に浸った感動を紹介します。

弘法大師と真言宗の名宝に会いに、東京国立博物館へ

さすが、弘法大師様。
これぞ、真言宗。

まさに「至宝集結」。
その言葉に偽りはなかった。

弘法大師・空海ゆかりの名宝をはじめ、真言宗十八本山と関係寺院に伝わる名宝が一堂に集まる。

東京にいながら拝することができる。

行ったことのない寺院の宝物。
普段は拝観する機会の少ない秘仏を。

「それは、行くでしょ。」

なにせ、私は弘法大師様をお慕いしている身なので。(笑)

とはいえ、私は相変わらず、詳しいことは調べずに出かけるたちである。

先に知識を詰め込むよりも、初めて出会った瞬間の驚きや感動を大切にしたい。

そして鑑賞後、余韻に浸りながら図録を買った。

これが大正解だった。

展覧会を訪れてから数週間が経つ。

図録を開くたびに、あの時感じた感動がよみがえる。そして、後から知ることで、名宝の新たな発見や奥深さをじんわりと感じている。

平成館へ。海の日の連休最終日の混雑状況

私が平成館に到着したのは、姉と待ち合わせをした、海の日の連休最終日、午前10時半頃。

建物の入口前には、来場者用の日よけテントが設けられていた。

炎天下のなか、行列や混雑を覚悟していたのだけれど、並んでいる人は誰もいない。

東京国立博物館の正面前。日よけテント。

「あれ? 空いている?」

これなら、ゆっくり見学できるかもしれない。

※訪問時(2026年7月20日)の混雑状況です。現在は異なる場合があります。

会場に入る。

まず出迎えてくれるのは、江戸時代に制作された高野山・金剛峯寺の秘仏「弘法大師坐像」である。長年にわたり捧げられてきた香煙によって全身が黒く煤け、深い艶をまとっている。

そのお顔には、優しさと厳しさをあわせ持つような表情があり、私には思いのほかお若く感じられた。

周りでは、手を合わせる人の姿も見られた。その姿に誘われるように、私も思わず合掌した。

会場は混雑しているわけではない。けれど、展示ケースの前には人がびっしりと集まり、なかなか前へ進めない。急いでいる人は、後ろから覗き込むように見ては、次の展示へと流れていく。

私たちは、一つひとつをじっくり見たかったので、根気よく列に並びながら進むことにした。

繰り広げられる絵巻や仏画の緻密さ、色彩の美しさに圧倒され、弘法大師の筆跡や書跡に心が震えた。

仏教美術の展覧会ということもあってか、来場者は年配の方が多い。私の目には、小中学生の姿はほとんど見当たらなかった。

そんな中、高校生? いや、大学生だろうか。

男の子3人組が、「梵字、すげぇ、カッコイイ」なんて話している。

漫画やアニメ、ゲームなどの影響なのかしら。
梵字や真言(マントラ)をきっかけにして、若い人たちが仏教や弘法大師・空海に興味を持ってくれているのは、なんだか嬉しい。

日本人って、どうも日本の伝統や文化を「ダサッ」って、過小評価しているところがあると思う。

私が若い頃は、まさにそうだった。

でも、年を重ねると、日本特有の伝統や慣習、礼儀って、ものすごく誇れるものだと思うようになった。

だから、こういうところから、改めて日本の文化や思想の素晴らしさに気づく人が増えていったらいいなぁ。そんなことまで思ってしまった。

心に残った名宝

88件もの名宝を、心ゆくまで堪能した。

どれもこれも、数百年、なかには千年以上も前のものとは思えないほど精巧で優美である。

印象に残っている名宝はいくつもある。美しいもの、珍しいもの、可愛いもの。そのなかから、特に心に残ったものをいくつか綴ってみたい。

※写真・動画撮影が禁止されていたため、文章によるご案内となります。

第一章「空海と真言密教」第三節「密教図像の世界」から

●27 重要文化財「別尊雑記 巻第十四 請雨経」
(前期展示)

いわゆる雨乞いの祈祷や加持の作法が書かれているという。

「えっ、雨乞いなんて、本当に行われていたんだ!」

まるでアニメの世界。

そんなことを思いながら図像を見ると、平安時代の画僧や絵仏師が描いたといわれる図像が、なんとも可愛らしいタッチ。

三種の曼荼羅が描かれているのだけれど、雨乞いだけに、雲の上の世界と龍神様が描かれている。

これが、なんとも温かくて、優しくて、愛おしい。

昔の人も、雨が降ってほしいと願って、こんなふうに寺院で真剣に祈っていたのかと思うと、昔の方が神や仏が近い存在だったのかもしれない、と思った。

●30 重要文化財「高雄曼荼羅図像 胎蔵界 巻第一、巻第四」
(前期展示)

「高雄曼荼羅」は、なんと弘法大師が制作に関わったと伝わる曼荼羅だという。

平安時代の人々は、弘法大師が描いたものと思っていたそうで、聖遺物として大切にされてきたとか。

胎蔵界と金剛界の諸尊が描かれており、油紙に墨で描かれた尊像は、細かく端正で美しい。

弘法大師も見て、触れて、描いたかもしれない。

そう思いをはせるだけで、これは奇跡だと思えてしまう。

第二章「後七日御修法の世界」から

前室で鑑賞していると、どこからか読経が聞こえてくる。

「なんだろう。」

その先には、ビデオの前に人だかりができている。
「後七日御修法(ごしちにちみしほ)」の解説動画が流れていた。

真言宗の最高の儀式。通常なら見ることのできない修法の様子を、映像で垣間見ることができる。

また、この空間が、大きなパネルや仏像の展示等で、後七日御修法の雰囲気を醸し出している。

この機会を逃せば、いつ見ることができるのだろうか。

周囲の方も、

「『後七日御修法』の様子を知ることができただけでも、来た甲斐があったなぁ」と感心されていた。

私も、こちらの展覧会の目玉は「後七日御修法」なのではないかと思っている。

「後七日御修法」とは

私も気になって、家に帰って調べてみた。

後七日御修法とは、毎年正月8日から14日までの7日間にわたって勤修される法会である。

空海の奏上によって天皇の許可を得て、承和2年(835年)に宮中で初めて修されたことに始まる、真言宗最大の法会だという。

玉体安穏、国家安寧、五穀豊穣などを祈り、明治以降は京都・教王護国寺(東寺)の灌頂院で行われている。

1200年近くにわたって伝えられてきた、真言宗最大の法会である。

●37 重要文化財「聖観音菩薩・梵天・帝釈天立像」(二間観音)

鎌倉時代の作とされる聖観音菩薩・梵天・帝釈天立像(二間観音)は、後七日御修法の「観音供」で本尊として伝わる仏像である。

ビャクダン製の聖観音菩薩の高さは約21㎝、梵天・帝釈天の高さは約18㎝で、いずれも高く結い上げた髪は、ターコイズのような美しい青色。実際に拝見すると、品格があり、端正なお顔立ちである。

そして、細く切った金箔を貼り付けた「截金(きりかね)」による、黄金に輝く繊細な文様の入った衣をまとっている。

光背も装身具も金属製で、繊細なデザイン。そして、台座も赤、青、黄色、緑、そして金の縁取り。艶やかな色彩だ。

厨子に入れられ、普段なかなか目にすることのできない仏像。長い年月を経た今も、鮮やかな彩色や截金文様が目に留まる。大切に受け継がれてきたことが伝わってくる。

真言宗はなぜ16派に分かれているのか?

調べてみると、真言密教が受け継がれていく中で、少しずつ流れが分かれていったことがわかった。

空海が開いた真言密教は、弟子たちによって受け継がれ、各地へ広がっていく。

そして時代が進むにつれて、加持祈祷の手順や修法の作法などに違いが生まれ、「小野流」「広沢流」といった流れができていった。

小野流は醍醐寺周辺、広沢流は仁和寺周辺を中心に発展した流れである。

つまり、同じ真言密教を受け継ぎながらも、どのような手順で祈り、どのような作法で修法を行うのかといったところで、違いが生まれていった。

ところが、平安時代の末になると、真言宗は次第に勢いを失い、教学も低迷していく。

そんな時代に現れたのが、僧侶、覚鑁(かくばん)である。

覚鑁は、衰えつつあった真言宗を立て直そうと、高野山で教学の復興や僧侶の修行・教育の改革に取り組んだ。

しかし、改革の進め方や高野山の運営をめぐって対立が深まり、覚鑁は高野山を離れ、根来寺を拠点とすることになる。

その後、覚鑁の教えを受け継ぐ流れは「新義」、従来の真言宗の流れは「古義」と呼ばれるようになり、真言宗は大きく二つの流れへ分かれていった。

さらに時代が下ると、新義真言宗からは真言宗智山派や真言宗豊山派などが発展していく。

こうして長い歴史の中で、さまざまな流れが生まれ、現在の真言宗各派へとつながっていったのである。

第四章「真言宗各派の彫刻と秘仏」から

この章でも、お勧めしたい秘仏がたくさんあるが一つだけ。

●82 国宝「薬師如来坐像」

拝見した瞬間に、息をのむ。

「えっ、生きていらっしゃる?」

お釈迦様(ゴータマ・シッダールタ)は、実在した人物である。けれども、目の前にいらっしゃるのは仏さま。

それなのに、斜めから拝謁したお顔の様子も、身体つきも、皮膚感も、まるで血液がめぐり、呼吸をされているように感じてしまうほど、生々しい雰囲気が漂っている。いや、何度、見直してもそう感じる。

先ほどの聖観音菩薩・梵天・帝釈天立像と同様に、截金文様の衣をまとい、全体的に黄金の光を放っている。仏像だけの高さは約11㎝。光背と台座を入れても25㎝という、なんとも小さな仏像である。

台座には十二神将立像のうちの一軀が、手をあげて「てへっ」と笑っているように見える。なんとも可愛らしい。

そして、展覧会では気づかなかったが、後屏(こうへい)といって、仏像の後ろにある屏風のような板には、日光・月光菩薩立像が浮彫りとなっている。

ところが、この小さな薬師如来には、さらに驚くような来歴があった。

仁和寺の国宝・薬師如来坐像は、康和5年(1103年)に円勢・長円親子によって造られた再興像である。

もともと北院には、弘法大師・空海が請来したとの伝承がある、ビャクダン製の薬師如来像が安置されていた。しかし、その像は康和5年の火災で腰から下を残して焼失した。そこで、円勢・長円親子によって再興像が造られた。現在の薬師如来坐像が、このときの像にあたる。

さらに興味深いのが、明治36年(1903年)の『御室御所仁和寺門跡霊宝目録』に、「弘法大師御作」と記された薬師如来があること。この像が現在の薬師如来坐像にあたる可能性も指摘されている。

図録に穴が空くのではないかと思うほど、読み返す。

「弘法大師御作」の可能性!!

きっと、そうよ。弘法大師御作と思いたい。

だって、あのただならぬ雰囲気。
しかも、秘仏。

ちょっと、私、すごい展覧会に来てしまった!

おわりに

真言宗の主要な16派には、それぞれ総本山・大本山があり、教えや修法が受け継がれている。

だから、真言宗とはいっても、それぞれの宗派には独自性があり、バラバラで敵対心があるのかしらと思っていた。

けれど、今回の展覧会を見て、根本にあるのは、弘法大師・空海が伝えた真言密教を守り、大切に受け継いでいることだった。

そして、それを象徴するのが「後七日御修法」である。

毎年、東寺で行われるこの法会には、真言宗各派の僧侶が集まる。

16派に分かれていても、後七日御修法という法会によって、真言宗は今も一つにつながっている。

最後に見送ってくださったのは、五智如来坐像。

五体の仏さまが並ぶ姿は、まるで弘法大師が構築した立体曼荼羅を思わせる。

たっぷりと弘法大師様と真言宗に触れることができた。

平成館を出たのは、14時を回っていた。
3時間半以上、どっぷりと浸っていたことになる。

驚きや感動は、もっと伝えたい!

けれど、ぜひ、ご自身で感じて、受け取ってほしい。
日常を離れ、法会や秘仏に触れ、いにしえの日本を堪能していただきたい。

基本情報・アクセス


弘法大師生誕1250年記念 特別展「空海と真言の名宝」

■会期:2026年7月14日(火)〜9月6日(日) ※会期終了
■会場:東京国立博物館 平成館
■所在地:東京都台東区上野公園13-9
■アクセス
・JR「上野駅」公園口・「鶯谷駅」南口より徒歩約10分
・東京メトロ銀座線・日比谷線「上野駅」より徒歩約15分
・東京メトロ千代田線「根津駅」より徒歩約15分
・京成本線「京成上野駅」より徒歩約15分
■開館時間:9:30〜17:00
※毎週金・土曜日および7月19日(日)は20:00まで開館
※入館は閉館の30分前まで
■休館日:月曜日
※7月20日(月・祝)は開館、7月21日(火)は休館
※最新情報は東京国立博物館公式ホームページをご確認ください。
■公式ホームページ
東京国立博物館 公式ホームページはこちら☞https://www.tnm.jp/