一人で歌舞伎を観に行くのは、少し勇気がいるかもしれません。
この記事では、坂東玉三郎の特別公演を観るために訪れた新橋演舞場での流れと実体験を、初めての方にも分かるように綴ります。
2025年6月公開の映画『国宝』を観た。
俳優・吉沢亮さんが演じる歌舞伎役者の姿に、心を揺さぶられた。
歌舞伎には、400年以上受け継がれてきた「型」がある。
立ち姿、歩き方、視線の動かし方、手の動き、台詞の言い回し。
そして、長唄や三味線などの音楽、華やかな衣装、化粧、舞台構造。
すべてが一体となって、歌舞伎という世界を作り上げている。
歌舞伎役者は、幼い頃から長い年月をかけて、その芸を磨いていく。
その伝統芸能の世界を、わずかな期間で役として作り上げた吉沢亮さんの表現力に驚いた。
そして、ふと思った。
スクリーンの中ではなく、実際の舞台で、歌舞伎役者が演じる歌舞伎を久しぶりに観たいと。
そんな流れから、歌舞伎役者で……人間国宝で…といえる存在。
私には、あのお方、坂東玉三郎丈しか思い浮かばなかった。
私が玉三郎丈を初めて知ったのは、小学3〜4年生の頃だったと思う。
商店街にある小さな本屋さんの、スイング式のガラス扉。
そこに、年末年始になると貼られていた一枚のポスターがあった。
おぼろげな記憶だけれど、平安貴族の女性のような姿をした人が、三つ指をついて新年のご挨拶をしている写真だった。
その前を通るたびに、私は思った。
「なんて、きれいなお姫さまなんだろう」
ある日、母と買い物へ出かけた時、そのポスターを指さして尋ねた。
「綺麗な女優さん。なんていう人?」
すると母は教えてくれた。
「あの役者さんは、坂東玉三郎さんという歌舞伎の役者さんなの。女性ではなくて、男性が女性の姿で演じているのよ」
「えっ!あんなにきれいなのに男性なの?」
当時の私には、きっと驚くようなことだったのだと思う。
けれど、ちょうどその頃、池田理代子先生の漫画『ベルサイユのばら』が流行し、宝塚歌劇団による舞台も大きな話題になっていた。
女性が男装をすること。
男性が女性の姿で演じること。
そのどちらも、私にとっては不思議なことではなかった。
日本には、性別を越えて役の世界を表現する、そんな文化があるのだと、子どもながらに自然に受け入れていたように思う。
れが、私が初めて「歌舞伎」という世界と、坂東玉三郎丈を知ったきっかけである。
さて、私は
メトロ日比谷線の東銀座駅で下車し、
6番出口から地上へ出たところだ。
周りをキョロキョロと見回した。
新橋演舞場に行きたい。
右側の少し遠くに高い建物。
手前の新緑の木々の隙間から、「新橋演舞場」と見える。

思ったより、近い。
ここに来るのは、三十数年ぶりぐらいだ。
この日この場所で、重要無形文化財保持者(人間国宝)、坂東玉三郎丈の『坂東玉三郎特別公演』を観る。

開演一時間前に到着。
演舞場の前には、スタッフが何人も出て案内している。
迷うことはない。
私は、まだチケットを発券していなかった。
入り口の奥に発券機がある。
6桁の購入番号と、登録している電話番号の下4桁を入力する。
それだけでいい。
イヤホンガイド
(レンタル料800円)も借りて、列へ並び、開場を待つ。
いざ、入場。
他の観客が、
お菓子や土産に目を向けている。
その隙に、まずはお化粧室へ。
混雑する前に、先に済ませておく。
一階の小さなロビー。
入り口を入って左手に、サンドウィッチやお弁当。
右手には、和菓子やシフォンケーキ、飲み物。
お弁当を手に、二階席へ向かう。

前から二列目、ほぼ中央。
とてもいい席だ。
パンフレットを開き、イヤホンガイドのスイッチを入れる。これから始まる舞台の説明が流れ出す。
読みながら、
聴きながら、
客席を見渡す。
ひとりで来たが、手持ち無沙汰になることはない。
思考を止めて、心を真っ白にして、開演を待った。
ブザーが響き、会場の照明が落ちていく。
そして──
緞帳が上がった。
扇子を横に置き、額の生え際には、江戸紫の病鉢巻。
白い羽織と着物。
三つ指をつき、
深く、頭を下げる。
坂東玉三郎丈。
口上が始まった。
あぁ、玉様のこの声。
堪らなく好き。
新橋演舞場の舞台に立つのは、三十年ぶりだという。
数々の名だたる名優との、思い出が語られていく。
遠いはずの時間が、すぐそこにあるようだ。
口上の終わりに
隅から隅まで、ずぃーと
大和屋っ
玉様の
まなざし。
声。
指先。
そして、あの掛け声。
すべてが揃った、その瞬間。
女方の最高峰、
その一端に、触れた気がした。
──次は、
舞台用の
自前の四枚の打掛と、
それにまつわるエピソードが披露された。
このときの玉様は、
なんともお茶目だ。
笑いを誘いながらも、
凛とした気品や姿勢は崩れない。
衣装で心打たれたのは、『天守物語』で富姫が纏った、龍の柄の打掛。
それを一目見たとき、高校生ぐらいの頃を思い出す。
クラスメイトが、『天守物語』を観劇し、パンフレットを見せてくれた。
紫の着物に、銀鼠の龍の打掛。
妖艶な富姫の姿が、焼き付いて離れない。
けれど──
舞台を観る機会はなく、そのまま年月が過ぎていった。
職人の手による、すべて手刺繍の打掛。
『天守物語』のために、新調された一枚も、披露された。
きっと、近いうちに──
上演される。
今度こそ、必ず行く。
そう、心に決めた。
舞台は暗転。
やがて──
音が、立ち上がる。
【後編はこちら】
この先は、玉三郎丈の演奏と夢二の世界へ。その余韻は、後編へ。